人に教える難しさと喜びとは
こんばんは。
ひろあきパパです。
今回は少し真面目なテーマになりました。
それは人にある物事を教えるときの難しさです。
相手がしっかり理解できるように説明するのは本当に頭を使いますよね。
なぜ急にそんなこと思ったの?
小さい子供ってすぐに
「これはなぁに?」
「これってどういう意味?」
って聞いてきますよね。
その質問に対してだらだらと説明するのではなく簡潔に分かりやすく答えることの難しさを考え出したのがきっかけでした。
分かりやすく説明するには勉強ができないとムリかなぁ?
ひろあきパパが思う頭の良い人とは「誰に対しても分かりやすく説明できる人」だと思っています。
単純に勉強ができて偏差値のいい大学に入る人も頭が良いでしょう。
学者さんも頭が良いでしょう。
○○さんも、○○さんも・・・
挙げるとキリがありません。
生まれ持った物か、死ぬほど勉強して身に付けた物かは別として、自分の頭脳をフル回転させて世の中に貢献する。または、頭の良さを生かして事業を成功させて高給取りになる。
それも立派なことだと思います。
ただ、それとは違うことで、「相手に対して自分の知識をキチンと説明できる人」
簡単にいうと、さっき書いた通りですが、「誰に対しても分かりやすく説明できる人」こそ、本当に頭が良い人だなぁ。
と思うんですね。
自分の思いや知識を分かりやすく説明するのはとても難しいです。
しかもそれを「分かりやすく」となるとなおさらです。
確かに勉強ができた方がそれだけ知識量があるので、教えることも増えるし内容も深くなるでしょう。
ただそれだけに頼って自分の思いを相手にベラベラしゃべるだけでは全く通じないと思うんですね。
なので、ひろあきパパはこう思います。
「勉強はできた方が良いが、相手に分かりやすく説明するには相手の立場になって考えることが必要。なので、勉強ができるからと言って、教えるのが上手とは限らない」
教える喜びとは
これは一言でいうと「相手がスッキリ理解してくれたとき」や「相手が教えたことをできるようになったとき」に、こちらも、「教えて良かったな」とか「私の教え方は間違ってなかったんだ」と思って嬉しくなります。
スポーツのコーチなんかは教え子の選手が活躍すると、自分のことのように喜ぶのはこの感情からだと思います。
ただし、大前提として教えられる側の姿勢の問題もでてきますよね。
その姿勢をできるだけ前向きにして、やる気を出させるのも教える側の役目でもあるので、本当にお互いが一体となる必要もでてきます。
正に信頼関係から成り立っているのは間違いないと思います。
まとめ
ということで、人に分かりやすく教えるには自分自身がキチンと理解しておかなければいけませんし、それを自分の言葉でキチンと伝える能力が必要です。
日頃から「子供に教えるには何て言ったらいいんだろう?」とか「これを教えるときにもっと分かりやすい表現はないかな?」などと考えていないと、急には難しいものです。
自分の知識を正しく伝えるということは、自分自身の存在価値を認める。そして自己肯定感を高めるためにも必要かもしれません😄
さて、ひろあきパパはこれからもたくさん娘に
「なんで?」
って聞かれるでしょう。
日々教える訓練をしながら過ごしたいと思います。